1 :名無しさん@おーぷん:2017/08/22(火)00:23:42 :PzJ(主)

※さえしゅうです


2 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:24:39 :PzJ(主)

真夏の肌を焦がすような日差しは、京都も東京も同じだった。

塩見周子は雷門の赤提灯の下で、手帳にバッテンを書き込んだ。

利休白茶に光沢がついたような銀髪。切れ長の瞳。

少し尖った鼻。

普段の性格は飄々としていて、物事の深いところにあまりつっこまない。

彼女は友人の小早川紗枝を伴って、休日という休日を甘味処巡りに費やしている。

なにせこの暑さ。

冷や菓子でも食べていなければ、アイドルもやっていられない。

だが、東京には周子の舌に合う甘味処がなかなか見つからない。

その理由については周子自身検討がついている。


3 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:25:32 :PzJ(主)

水。

京の都には名水が多く、周子が生まれた菓子屋もその水を使って菓子を拵える。

日々の飯の煮炊きに使われる水も上質なもので、

周子が初めて東京の水道水を飲んだ時は、かすかに顔をしかめた。

餡子にしろ寒天にしろ、黒蜜にしろ、水がちがえば味が変わる。

周子はそれを責めるつもりはない。

これは好みの問題であって、良し悪しをつけるものではないからだ。

「浅草もダメか…」

周子はつぶやいた。

かれこれ20軒以上の甘味処を巡ったが、空振りばかり。


4 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:27:05 :PzJ(主)

「新幹線なら、日帰りで京にも行けますやろ」

色気のある京言葉のイントネーションで、紗枝が言った。

艶めいた黒の長髪。目尻はおだやかに下がる。

たおやかな物腰で柔和。いわゆるはんなんり美人である。

この暑い夏だというのに、着物を涼しげに纏っている。

「京都かー…パスポートを作る時間がないな~」

はぐらかすように、周子が冗談を言った。

だがその冗談のなかに、自分はもう京都の住民ではない、

という気持ちが隠れていた。


5 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:29:20 :PzJ(主)

彼女はかつて、「実家でヌクヌクしようとしたら追い出された」と語っていたが、

アイドルとして自分でお金を稼ぐようになってからは、

そのようなことは口に出さなくなった。

自らの浅はかさを後悔していた。

周子の里帰りを妨げるものがすなわち、その悔悟の念である。

「いっそのこと自分で作っちゃおうかな」

京の味を懐かしむ様子を、表面上は見せずに周子は手帳を閉じた。

これもまた冗談であったが、紗枝がそれに乗った。

「ええなあ。うち、周子はんの作る冷ぜんざいが食べたい」

紗枝の、きらきらとした瞳に見つめられて、周子は首を横に振れなかった。


6 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:30:57 :PzJ(主)

面倒なことになっちゃった。

周子はひんやりと冷房の効いた、紗枝の部屋のキッチンにいた。

なぜかというと、ぜんざいを作るための材料がちょうど、

紗枝の部屋にあるからだという。

あたしよりよっぽど、菓子屋の娘らしい。

その紗枝は今も、にこにこと周子の様子を見ている。

さて肝心のぜんざい作りであるが、周子自身、まったく覚えがない。

老舗の菓子屋の娘といっても、跡取りは男と決められていたし、

菓子工房への出入りも禁じられていた。

しようがないので、周子はこっそりスマホをいじって、

作り方を頭に入れていた。


7 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:34:53 :PzJ(主)

まずは渋抜きか。

周子はさっと小豆を洗って、小鍋に入れた。

そしてたっぷりの水で茹でる。

「流石やなあ」

「褒めるのが早いってば」

苦笑しながら、周子はふつふつと揺れる小豆を見つめた。

塩見屋はどこの小豆を使っているだろうか、とふと気になった。

東京の甘味処は、「うちはどこどこの小豆を使っていて~」と、

アイドルへのごますりもあったのだろうが、気前よく話してくれた。

だが、塩見屋と同じ餡子____小豆は1つもなかった。

また、塩見屋で使われている小豆も極秘、門外不出の扱いである。

生家を飛び出した周子には、その味のほかには何もわからない。


8 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:38:18 :PzJ(主)

水が沸騰し濁ってきたので水を入れ替えて、また茹でる。

「ほんに、京都に帰る気はないん?」

「………」

集中しているふりをして、周子は紗枝の問いを聞き流した。

帰れるものなら帰りたい。

両親に会って、かつてのことを謝りたい。

でも、どんな顔をして会えばいいんだろう。

周子は両親になんの相談もせずにアイドルになった。

いまでこそ、一人立ちしたと言えるくらい順調に活動をしているが、

親心は平穏ではなかっただろう。

親の言うことなど全く聞かない、好き勝手に生きる娘。

いや、もう娘とすら思っていないかもしれない。


9 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:39:31 :PzJ(主)

周子は再び沸騰した水を捨てた。

これで渋抜きは終わり。

次は小豆がやわらかくなるまで、新しい水で一時間ほど煮る。

周子は湯気で汗ばんだ顔を拭った。

作り方を見たときから分かってはいたが、手間も時間もがかかる。

そのことで余計に、かつての自分の軽薄さが嫌になる。

菓子屋の苦労など知りもしないで、冬眠中の狐のように怠けていた。

ますます親に合わせる顔がない。

「紗枝、ちょっと火を見てて」

周子は部屋を出た。

また家のことについて尋ねられるのがいやだった。

懐かしくなって、涙がこぼれそうになるのがいやだった。

裏切りつづけたのに、今更になって家にすがろうとする自分が、

どうしようもなくいやだった。


10 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:40:15 :PzJ(主)

周子は自分の部屋で気持ちを鎮めようとした。

しかし、鍵がなかった。

紗枝の部屋に置いてきてしまったのだ。

周子は扉の前で、膝をかかえた。

気を紛らわすために他のアイドルと話したくても、

あいにくLiPPSのメンバーはそれぞれ別の仕事が入っている。

周子は家を追い出されたときよりずっと、深い孤独感を感じた。

普段の気楽さ、飄々さが今日はふさぎ込んでいる。

だが、慣れぬことをした疲れからか、眠気がやってきて、

彼女はしばしの間苦悩から解放された。


11 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:41:31 :PzJ(主)

ふと目を覚まして時計を見ると、二時間以上も経っていた。

周子は大慌てで、紗枝の部屋に戻った。

「ずいぶん、おそい帰りどすなあ」

「……ごめん」

「ぜんざい、できとります」

特に怒った様子もなく、紗枝は椀にぜんざいを注いだ。

だがそれは、椀を持つ手がひりひりするくらい、

熱々のぜんざいだった。

「食べてみて?」

まさかいやとは言えず、周子はまず、

ぜんざいの汁を飲んでみた。

涙が出そうになった。

舌が火傷するのではないかというくらい熱かった。


12 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:43:26 :PzJ(主)

そして驚くくらいに、塩見屋のぜんざいの味に似ていた。

甘い。

けれども、いつまでも口に残らない、品の良い甘さ。

やはり水のせいか、若干のちがいはあるものの、

周子の心はかつてないほど、大きく揺さぶられた。

「もう一度聞くけど、ほんに、京都に戻る気はないん?」

紗枝からの再びの問いに、肩で息をしながら、周子は答えた。

「戻りたい……戻りたいけど…もう、あたしは娘だと思われてない…」


13 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:54:10 :PzJ(主)

紗枝は親友に、封の開いた空の小包を渡した。

「似た者親子どすなあ」

周子が送り主を見ると、それは生家の住所だった。

「直接送っても受け取ってもらえんからって、うちにおくってくるんやもん」

「まさか、」

そんなはずはない。

周子は自分の顔がずいぶん情けない形に

なっているだろうと思いながらも、紗枝にたずねた。

「あの小豆は……」

紗枝はにっこりと笑ってうなずいた。

それを見たとき周子の心に、静かであたたかい雨がふってきた。


14 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)00:54:27 :PzJ(主)

おしまい


15 :名無しさん@おーぷん :2017/08/22(火)01:00:57 :Ds0 ×
周子「ざいぜん」

時子「アァン?」


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【おーぷん2ch】塩見周子「ぜんざい」
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