20081022
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 さる、3月8日、SKE松井珠理奈が二十歳の誕生日を迎えた。まだ小学生のときからSKEに入り、SKEのセンターとともに、AKB48のセンターまで前田敦子とのWセンターという形ではあったものの、抜擢された彼女も、最近はもう風格さえ感じるようになっている。

 しかし、当初、彼女は特にAKBのファンからは「ごり押し」と壮絶なバッシングを受け、握手会などでも暴言を吐かれることが多々あったという。いい年をした大の大人が小学生、あるいは中学1年生の女の子に、どんな暴言を吐いたかは知らないが、そうした嫌がらせにも耐えて、今やAKBGを代表する人気メンバーになったのは、やはりそれだけの逸材だったということだろう。

 ここで、秋元康プロデュースグループで、「ゴリ推し」と攻撃されながらも、楽曲センターをつとめたメンバーを振り返ってみたい。まずは、AKB48前田敦子。デビュー曲から、総選挙やじゃんけん大会といったセンターを賭ける企画で出た楽曲を除くほとんどすべての楽曲でセンターをつとめ上げたのが彼女である。未経験者を集めたAKB1期生とはいえ、芸能経験のあった者、あるいはスキルが高かった者は多かったのに、全くのど素人であった彼女がセンターになったのは、秋元氏というより、コレオグラファーの夏まゆみ氏の推薦だったという。当然(?)、他のメンバーのファンや、センター固定を嫌うファンからはバッシングを受け、総選挙ではライバルと言われた大島優子に負けることもあったが、自ら前にでて発言するタイプでもなかった彼女に関しては、他のメンバーや関係者の証言、あるいはドキュメンタリー映画などで、努力家で負けず嫌い、そして生真面目な一面が垣間見えるものの、総じて何を考えているかわからない、ミステリアスな面を魅力として、卒業を迎えた。

 その前田の対抗馬にされたのが、松井珠理奈だった。「10年に一人の逸材」と秋元氏から言われ、その、物怖じしない態度と、素直に感情を出す姿は、前田敦子とは正反対の明るい太陽のような爽やかさを感じさせた。しかし、周辺からのバッシング、あるいは重すぎる期待は、本人の様相以上につらかったのだろう。何度か体調を崩したりもしている。そして成長と共に、幼少期から死線を潜り抜けた侍の凄味のような悲壮感を身につけるようになってきた。

 さらに、NMBでは城恵理子というメンバーも「珠理奈を見たときと同じような衝撃を受けた」と秋元氏が語っており、2期生でありながら、NMBの選抜に抜擢され、ゆくゆくはNMBを背負う逸材と言われていた。しかしながら、彼女に対するバッシングが想像を超え、また彼女自身も成長して視野が広くなるにつれ、その重圧に耐えられなかったのだろう、中学卒業を機にNMBをも卒業することになる。その後、NMB初の出戻りという形で復帰しているが、デビュー当時の輝きを取り戻すには至っていない。

 HKTでは「第二の松井珠理奈だ」と秋元氏が太鼓判をおした田島芽瑠が、2期生でありながら、デビュー曲、セカンドシングルでセンターをつとめている。彼女も、2期生でありながら、1期生を押しのけてデビュー曲センター抜擢のインパクトが、予想以上の逆風になって襲い掛かったことが予想される。

 こうしてみると、秋元氏がセンターに抜擢、あるいは固定するメンバーというのは、スキルはともかく、今後の成長が見込めて、さらにそれを暖かいファンが見守る可能性を感じる少女であることがわかるのだが、松井珠理奈以降、あまり成功しているとは言えない。



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