<$BlogTitle ESCAPE$>

あの日の「放送室」で生まれた夢へ――。上村莉菜と尾関梨香の物語

 

1.挫折の先の光

2ndシングル選抜発表にて。

 

――3列目15番、上村莉菜。

 

そう呼ばれた彼女の表情は、今にも泣き出しそうだった。口を真一文字に結び、叫びだしたい気持ちをおさえるように、壇上へと向かう。

 

上村は、1stシングル「サイレントマジョリティー」で3列目を務めた。だから3列目の苦労を知っている。3列目のメンバーの想いも知っている。

 

ファンからの期待に応えられない。なかなか見つけてもらえない。そのなかでもひたむきにがんばるしかなかった。ダンスやブログ。3列目でやれることはなんだ。考えて、そして、やれることはやった。ファンにもそれを認めてもらった気がした。

 

しかし結果は変わらない。3列目。その事実が重く圧しかかる。

 

まだまだ足りないことがある。だから前にいけない。それは分かっている。分かっているが、感情のほとばしり、悔しさはそう簡単には消えない。

 

スタジオ収録が終わり、楽屋に戻っても気持ちは晴れない。あまりのショックに、他のメンバーがどのポジションになったかも分からなかった。わたし、また3列目なんだ……。楽屋のすみっこでひとり泣き続ける。

 

そんな上村のもとに近寄るメンバーがいた。

 

「りな!うちらシンメだよ!いっしょにがんばろ!」

 

声の主は、尾関梨香。

 

今回の選抜発表において、唯一、2列目から3列目に後退したメンバーだった。

 

20170519-01

2.はじまりの「おもてなし会」

上村莉菜と尾関梨香。ふたりは「放送部コンビ」と呼ばれることが多い。その名称は、欅坂46にとって2回目のイベント「おもてなし会」で付けられた。

 

ふたりは「放送部」として、同イベントの総合MCを担当。尾関は「司会進行役みたいなものって全然やったことがなかったので、グダグダになっちゃんたんですけど」と笑いながらも、「2人で試行錯誤しながらいろいろ練ってやった『おもてなし会』はすごく楽しかったです」と振り返っている。

 

もともとふたりの仲の良さは、ファンの間でも評判になっていた。初期の上村のブログを見ると、尾関とのツーショットが多く載っている。また、2015年11月21日のブログでは、尾関のことを「いちばんなかよし~」と綴っている。

 

そんなふたりがMCを務めた「おもてなし会」の2日目、ちょっとした事件が起きる。

 

この日は1日2公演あり、その2度目の公演のオープニングで、上村が泣いてしまう。ファンもその様子に気づくほどだった。それは一見すれば、緊張やプレッシャーからくる涙と思えるが、実際は裏でこんなことが起きていた。

 

最初の公演のあと、上村は尾関に、「色々反省があり、次の公演までの空き時間で相談し合おう」と声をかけた。にも関わらず、尾関が忽然と消えてしまう。本番までに打ち合わせをしたいのに、どこにもいない。

 

このとき、尾関は腹痛のため、トイレにこもっていた。それを知らない上村は、ひとりで必死に探すものの、結局、最終打ち合わせをすることなく、本番を迎えることになってしまう。打ち合わせができなかった不安と、尾関への怒りで、上村はオープニングから涙を流していた。

 

しかし極度の緊張も終わってみれば良い思い出になる。上村はブログに「終わった後は声が出ないほど梨香と泣いた」と書いている。

 

夜中まで電話で話し合って、リハーサルで何度も怒られ、はじめてぶつかりあって、そして目的を達成したふたりの、「放送部コンビ」の絆は、こうしてより強固なものへと進化した。

 

20170519-02

 

3.一番側で祝った生誕祭

2016年10月9日に開催された握手会で、尾関の生誕祭が催された。主役である尾関に花束を渡したのが上村だった。上村はそのあと、長文の手紙を読み上げる。

 

そこには尾関の好きなところや、おもてなし会の話などが書かれていた。聞いた誰もが、上村の「尾関愛」を感じる内容に、会場は祝福ムードに包まれた。

 

2017年1月22日に開かれた上村の生誕祭では、逆に尾関が花束を渡し、手紙を送っている。しかも、司会も尾関。もともと司会は今泉佑唯だったが、今泉の体調不良により、急きょ尾関が抜擢された。これによって尾関は、司会、花束贈呈、手紙と大活躍。上村の生誕祭を大いに盛り上げた。

 

ふたりの手紙に共通して書かれているのは、出会いの話。

 

初期の合宿の頃、先に話しかけたのは上村だった。席が近かった上村は尾関に一生懸命話しかけるものの、人見知りだった尾関は何を聞かれても「うん」と答えるか、首を振るぐらいの反応しかしなかった。

 

それが時を経て、互いの人柄を知り、生誕祭を一番近くでお祝いできる仲にまで成長した。

 

尾関は手紙の中で、「この先どんな試練があるかわかんないけど、お互い諦めずに日々努力して私たちの夢を絶対叶えようね」と述べている。

 

試練。

 

そう、まさに試練がふたりの前に立ち塞がった――。

 

20170519-03

 

4.一番側で祝った生誕祭

2ndシングル選抜発表に話を戻す。

 

このとき、唯一、2列目から3列目になった尾関だが、「2列目で吸収したことを沢山3列目に持ち帰ってメンバーに共有することが出来る役割でもあります」と前向きにとらえていた。

 

しかしポジションが下がった辛さに変わりはない。力不足を痛感した。デビューシングルで与えられたポジションで結果を出したかった。その思いだけが先行し、結果、何も残せなかった。悔しさが募る。

 

でも、辛いことだけじゃなかった。放送部コンビの上村とシンメになれた。その上村もまた3列目に対して忸怩たる思いをいだいている。一緒だ。気持ちは同じ。だったらふたりでもっと努力を重ねパワーアップしよう。

 

そして、尾関は楽屋の隅で泣いている上村に声をかけた。

 

「りな!うちらシンメだよ!いっしょにがんばろ!」――。

 

 

――時は流れ。

 

3rdシングル「二人セゾン」では尾関、上村ともに3列目だったが、4thシングル「不協和音」で、ついに上村は初のフロントに選ばれる。一方尾関は、3作連続の3列目。

 

尾関はこの現実に、苦しい胸の内をブログで打ち明けた。どんどん周りとかけ離れていく焦りがある、どうすればいいか日々もがいている、アドバイスがあれば教えてほしい……。

 

そしてなにより、今回のポジションで一番の心残りは、上村のことだった。

 

尾関が4thシングル選抜発表後のブログで、上村に送った言葉。

 

 

一緒に前行けなかったね。。
それが一番心残りです。
今はりなが不安な身なのに
わたしを救ってくれた
励ましてもらってばかりで情けない(..)

ささえなきゃー。

 

 

ふたりには夢があった。

 

それは、一緒にフロントに行くこと。ユニットで活動すること。

 

せっかく上村がフロントに選ばれ、ひとつ夢を叶えるチャンスだったのに、自分が不甲斐ないあまりに、それを逃してしまった。自分にもっと人気があればユニットでの活動だって現実味を帯びてくる。それなのに現実はどうだ。

 

尾関は苦悩する――。

 

 

一方で上村も苦悩していた。

 

上村は「放送部コンビ」の他に、今泉佑唯と「ちび~ず」というコンビでファンに親しまれている。もともと今泉とはそこまで親しげな間柄ではなかったが、雑誌のロングインタビューをふたりで受けたときに、相手の過去を知り、共通点の多さに意気投合。身長も同じとあって、いつしかふたりは「ちび~ず」としてファンにも浸透していった。

上村は今泉を、「すごい元気をもらえる」、「(今泉のおかげで)がんばろうと思える」存在だと話している。

 

そんな今泉は今、体調不良のため、活動を休止している。

 

いつも元気をもらえる存在が側にいない。そしてそんな今泉の変わりは誰も務まらない。だからこそブログで、「戻ってくるまでとなりの席、空けとくから」と書いている。

 

心にぽっかりと開いた穴をどう埋めるか。

 

「放送部コンビ」のふたりは今、それぞれの悩みを抱えていた。

 

20170519-04

 

5.苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ

夢はどこからはじまったのだろう。

 

上村は「欅って、書けない?」の自撮り自己紹介で、「歌もダンスも未経験ですが、一生懸命頑張るので応援よろしくお願いします」と語った。それからアイドルの厳しい現場を知り、過酷な日々を過ごしながらも、言葉通りに精一杯頑張り、ついにはフロントまで辿り着いた。

 

尾関は同番組の自己紹介で、「ファンの皆さんとたくさん触れあい、個性を出していけるように頑張ります」と語った。尾関の個性は誰もが知るところ。独自のスタイルを確立し、集団の中において一際目立つ存在感を発揮している。

 

そんなふたり……「放送部コンビ」の夢はまだ叶っていない。しかし、その夢はまだ終わっていない。これから叶う可能性はいくらでもある。いつか夢を叶えたとき、ふたりはどんな表情を浮かべるのだろうか。そして次にどんな夢を描くのだろうか。

 

夢は人を輝かせる。上村と尾関。ふたりの夢はふたりを輝かせる。輝きに人は惹かれる。惹かれ、心を寄せ、最大限のエールを送る。エールは力になる。力は夢を叶える燃料となる。

 

作曲家ベートーヴェンはこんな名言を残している。

 

“苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ”

 

ふたりは今、苦悩の中にいるかもしれない。

 

しかしその苦悩を乗り越えたとき、必ず歓喜がおとずれる。

 

 

物語は今も続いている。

 

あの日の「放送室」で生まれた夢へ、走り続けている。

 

ふたりの夢を知っている”あなた”も、

 

今、ふたりの夢を知った”あなた”も、

 

一緒に走ってほしい。

 

 

そして、いつか――。

 

 

「夢が叶ったね!」

 

 

歓喜にいたったそのとき、

 

最高の祝福を、ふたりに。

 

20170519-05

 

 

コメント

  1. 名無しのまとめラボ 2017年5月26日 20:50 ID: g0OTg4ODg

    まじで泣いた。うえむーにはまたフロントになれるように、尾関には次こそフロントで活躍できるように応援してる!ずっと信じてるよ!

    返信する

  2. 名無しのまとめラボ 2017年5月26日 21:20 ID: YxNTMzMzY

    これは泣ける

    返信する

  3. 名無しのまとめラボ 2017年5月26日 21:45 ID: MwODc2MjA

    ほんといい記事書くよな

    返信する

  4. 名無しのまとめラボ 2017年5月26日 22:13 ID: M2MDExNTY

    やばい
    知ってるはずなのに泣いちゃった
    放送部のフロントとユニットまってます。
    いい子すぎる2人が大好き

    返信する

  5. 名無しのまとめラボ 2017年5月26日 22:20 ID: M2MDExNTY

    尾関は本当にいい子だよね
    唯一1stから2nd三列目に下がったメンバーなのに、尾関の位置だったねるに対して、一時期のなぁちゃんと真夏みたいな関係にならないで、変わらず接して、三列目に下がって1番と言ってもいいほど悲しいはずなのにむーに対して優しい言葉をかけて。
    推してて良かった。
    いつか2人の優しさが報われることを願ってます。

    返信する

  6. 名無しのまとめラボ 2017年5月27日 0:37 ID: c4NTc5NzM

    ちょっと臭いな笑

    返信する

  7. 名無しのまとめラボ 2017年5月27日 10:35 ID: YwMjE5NTU

    目立たないが尾関は初期からグループにとって重要なことをしている。
    まずは、研修合宿で地方出身メンの辛さを思って泣いたこと。
    次に同期なんだからとあおいやねるに呼び捨てするように言ったり、
    東京見物に連れていったこと。
    人見知りで話し掛けるなモードにいたもんの心を開いたこと(一人でではないが)。
    セカアイMV撮影+徳誰撮影で大変な時期に大学の試験が重なるも、
    自分が頑張る姿を見せることで、後に続く学業両立メンバーに
    勇気を与えたこと。画面からは伝わりにくいが、
    真面目な子だと思う。

    返信する

 コメントする

アンチコメントには反応しないでください

名前

コメント



このページのトップヘ