daddy_pipecut

663: 1/3 投稿日:2018/06/05(火) 09:58:29 ID:y7z

誰かに聞いてほしくて書いてみたらめちゃくちゃ長くなった。
人がタヒぬグロ話なので苦手な人はスルー。


私が子供の頃、両親は当時どちらも夜中まで不在だった。
今思えば立派なネグレクトってやつ。

洋服や文房具は、両親がいつの間にか大量に買ってきてタグつきのままそのへんに置いてあった。
そこから選べば物資には困らなかったし、学校からのプリントをテーブルに載せておけば、翌朝には必要なお金がおいてあった。
行事にはほとんど欠席だったけど、家庭訪問や三者面談のときだけはいい親面してたな。





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ネグレクトが本格化したのは小学校入学後に学童に入った頃からで、週末すら両親の姿を見なくなった。
おなかが空いたら米を炊いて野菜をレンチンして食べてた。
母の日や父の日に絵や作文を書くんだけど、両親の顔も思い出せなくて困ったから捏造してたw

学童にいけなくなる高学年あたりから、実家の隣家のおじさんに性/的な嫌がらせされるようになった。
追いかけられて襲われかけたこともあったし、見せ付けられるなんて日常茶飯事。
おじさんの存在から逃げるために、放課後は図書室で時間を調整してから帰宅してた。

帰宅に気づいたおじさんが外から玄関ドアをがたがたやる音に怯えて、押入れに逃げ込んでた。
(おじさんに見つかるかも)
と怯えながら洗濯機を回して室内に干して、床にクイックルしてた。
ゆっくり風呂に入ってると窓から侵入されそうな気がして毎日シャワーだった。

夜中になれば両親のどちらかは帰ってくるから、寝るときだけは落ち着いていられた。
おじさんはうちの両親に対して異常にビビッてたからね。

不思議と『誰かに相談する』っていう発想はなかったな。




664: 2/3 投稿日:2018/06/05(火) 09:58:42 ID:y7z

今でも鮮明に覚えてるが、小学校6年生のときのクリスマス前頃に、異常気象で大雪が降って休校になった。
両親が仕事にいけずに久々に在宅してたので、落ち着かなくて二階の自室にこもってた。

初めて見る銀世界にうっとりしながら外を見ていたら、隣家の窓越しにおじさんと目が合った。
慌ててカーテンを閉めたけど気になって隙間から見たら、おじさんが我が家の裏手(リビングと反対側)からうちの壁を登ろうとしてのが見えた。
(この部屋に来るつもりだ!)
と震え上がったけど体が動かなくて、おじさんの動向をただじっと見てた。

おじさんは裏手の家の塀に登って、我が家のベランダに手をかけて、室外機を足がかりによじ登って、
すべって仰向けに倒れ、塀に後頭部を打ち付けてから雪の上に落ちて、何度かじたばたしてから動かなくなった。
塀と外壁の隙間1mくらいのところにおじさんが挟まるみたいにして倒れてたのはなんとなくシュールな光景だった。

「きゃー」とか叫ぶ場面なんだろうけど、
黙っていたほうがいい気がして、おじさんが動かないのを確認してからカーテンを閉めて宿題に没頭することにした。

その日は久しぶりに両親とそろって食卓を囲んだのが、とにかく楽しかった。
父がニュースに突っ込みを入れるのにわけわからないなりに相槌を打ってた。
母の手料理(カレー)に
「おいしいね!」
と喜んでたら、母がにこにこしてくれて嬉しかった。
その日は生まれて初めてってくらい両親と色々な話をしたけど、
おじさんのことは何も言わなかった。

食後に部屋からおじさんが倒れていたあたりを見たら、おじさんが同じ場所で半分ほど雪に埋もれたまま倒れてた。
なのでまた “見なかったこと” にして、久しぶりにゆっくりお風呂に入った。

時々部屋からおじさんの様子を観察してたら、顔がふくらんだりしぼんだり髪が乱れてた気がしたけど、体は動いてなかったので
(まあいいか)
でほうっておいた。
なぜかまったく怖くなかった。

ある朝にカラスが目を突っついてるのを見て
(うげー)
と思ってから、観察は止めた。


665: 3/3 投稿日:2018/06/05(火) 09:59:15 ID:y7z

おじさんが見つかったのは確か終業式の翌日だったかな。
裏手のおばさんが見つけて大騒ぎになった。
隣家はおじさんの一人暮らし、我が家は大人がほぼ不在でいても夜だけ、裏手は足の悪いおばさんと不在がちな旦那さんで、塀の後ろの狭い空間におじさんが倒れてることに気づかなかった。
『カラスが集まってきたのに業を煮やしたおばさんが塀のかげを覗いて発見された』って聞いた。

優しそうな婦警さんに
「変わったことはなかった?」
と聞かれたので
「何も知らない」
と答えた。

意外と人一人が住宅地、それも他人の家の敷地内でなくなってもわからんものだなーと妙に感心したわ。
新聞で探したら地方の事件として
「知的障害の男性が事故タヒ」
と小さな記事になったのを見つけた。

その当時は知的障害者って全員施設で暮らしてるものだと思ってたから(ボランティア活動で施設訪問してたから)、「そういう人でも一人暮らしできるんだ!」って驚いた記憶があるw

学校で友達から色々聞かれて
(めんどくさいなー)
と思ったけど、知らぬ存ぜぬで通しているうちに冬休みになって、新学期が始まったときにはその話題には誰も触れなくなってた。

不思議なことに、その頃から母が心を病んだ。
「おじさんが塀のところで倒れてるのが見える」
って騒いで、父が病院に連れて行ってしばらく入院してたけど、面会には行かせてもらえなかった。
退院後もおじさんが
「『なぜ助けてくれない』って責めてくるから」
って、塀の見える部屋には行かなくなった。

(お母さんが病気になったら家にいてくれるかな)
と不謹慎なことも考えたけど、ますます仕事に没頭して家に帰ってこなくなって、中学の途中から全寮制のところに編入させられたと思ったら、その間に家を売ったらしい。
「家、変わったから」
って新しい住所のメールが来て、
(ふーん)
と思ったけど、結局その家にもおじさんが現れるらしくて、両親は何度も引越しをしてる。
おかしいよね、おじさんが怪我してからタヒぬまで見てた私のところには一度もおじさん来ないのに。
関わりがほとんどなかった母のところに行く理由って何よw

あれから10年以上たつけど、母のところにはいまだにおじさんがついて回ってるらしい。
父は毎年のようにお祓いに連れて行ってるんだって。
来月もお祓いに行くらしくて今日、父から
「おまえも来るか」
とメールがきたけど
「行かない」
って返信した。
10年以上何度もこのやり取りしてるんだから、いい加減聞かないでほしいw
メールが来るたびに雪がきれいだったことやおじさんがじたばたしてるのを思い出すからいやなんだけど。

寮に入ってから一度も帰省してないから両親の現状は不明だけど、今のところ私はカレーを食べられない以外は何事もなく平和に暮らせてるw


666: 4/3 投稿日:2018/06/05(火) 10:03:38 ID:y7z

分割間違えた。

なんでこんなことを最近になって書こうと思ったかというと、父のメールが着たからなんだけど。
結婚を考えた人がいたんだけど、カレーが食べられなくて別れちゃったw
(なんでカレーが苦手なんだっけ)
と考えてみても思い出せなくて、でも食べたら吐くのでアレルギーだと思って調べてもらったけど何も出てこない。
(もしかしてトラウマでもあるんじゃね?www)
ってことで職場のカウンセラーに話を聞いてもらったら、
「恐らくこのおじさんの件が原因だ」
って言われてびっくりした。

私の中では冬のちょっとした事件としか認識できてなかったけど、普通はトラウマになるくらいの大事件なんだってね。
多分ネグレクトのせいで色々ねじれてるようなので、結婚しなくてよかったと思った。
カウンセラーの紹介で心療内科にかかるかどうか迷ってるけど、かかったところでどうにかなるもんかいなとも思うし。



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