>海
梓(今日はムギ先輩と海釣りにきました)
梓(私が以前誘った時、随分楽しんでくれたらしくて)
梓(こうやってたまに海にくるんです)
梓(今日は防波堤ではなく浜釣り)
梓(砂浜からロケット天秤をつけた仕掛けを力いっぱい投げて、アイナメやカレイを狙います)
梓(竿は5本。遠投は5本ともムギ先輩にお願いしました)
梓(後は待つだけのちょっと退屈な釣りなのですが……)
梓「ムギ先輩……? ていつの間にこんなもの!!」
紬「砂でお城を作ってたの」
梓「随分立派ですね…」
紬「梓ちゃんも一緒にやる?」
梓(どうせやることないし…)
梓「はい、手伝わせてください」
紬「それじゃあ正門のところをお願い」
梓「……細かっ!」
紬「…?」
梓「ムギ先輩……これ、私には無理です」
紬「そうなの?」
梓「だって数センチ単位で作りこまれてますし」
紬「それなら山でも作りましょうか」
梓(と言ってお城を壊そうとするムギ先輩……って、ちょっと――)
梓「ま、待ってください」
紬「…?」
梓「壊すなんてもったいないです」
紬「でもせっかく梓ちゃんがいるんだから…」
梓「お城が完成するところ、私も見たいですから!」
紬「そう? なら、車に乗って待ってる?」
梓「いいえ! ここで見てます」
紬「でも…そうだわ。梓ちゃんは貝を探してくれる?」
梓「貝ですか?」
紬「ええ、ええ。お城を飾るために貝が欲しいと思ってたの」
梓「わかりました」
紬「それじゃあお願いするね」
梓「任せてください」
梓(私はムギ先輩のために貝を探しはじめました)
梓(どうせなら桜貝が欲しかったのですが、この海岸にはないみたいです)
梓(貝を拾い、手にとってみて、割れのない綺麗なものだけを集めていきます)
梓(あさりのような二枚貝、よくわからない巻貝)
梓(すぐに左手が塞がるぐらいの貝があつまりました)
梓(……?)
梓(なんだか左手がもぞもぞするような)
梓(あっ……やどかりだ)
梓「ムギせんぱーい!」
紬「どうしたの?」
梓「これ、見てください」
紬「あら、やどかりさん?」
梓「はい。偶然貝の中に入ってたんです」
紬「梓ちゃんはこれを見せにきてくれたの」
梓「は、はいっ!」
紬「ありがとう」ニコッ
梓「//」
紬「……あら、そこの貝も」
梓「ほんとだ、動いてますね…」
紬「えいっ……つかまえた」
梓「やどかりが二匹……」
紬「お城も完成間近よ」
梓「は、はやい…」
紬「梓ちゃん、貝で飾ってくれる?」
梓「わかりました」
紬「…そうだ!」
梓「どうしました?」
紬「お城にやどかりさんのお部屋を作ってあげましょう」
梓「……クスッ」
紬「…子供っぽいかしら//」
梓「ふふ…お城作りしてる時点でいまさらです」
紬「うぅ……//」
梓「この子達がこの国の第一国民…」
紬「国?」
梓「お城って国っぽいじゃないですか」
紬「そうかしら?」
梓「そうです」
紬「じゃあこの子たちは王様とお姫様?」
梓「それはどうでしょう」
紬「うん?」
梓「やどかりの性別なんてわかりませんし」
紬「じゃあ王様と王様かも」
梓「お姫様とお姫様かもしれません」
紬「ふふふ」
梓「…そろそろ作業に戻りましょうか」
紬「そうだね」
梓(一番上に巻貝を乗せて……)
梓(この門のところにはあさりっぽいのを)
梓(時計台のところにはほたてっぽいのを)
梓(後は…)チラッ
梓(…ムギ先輩はやどかりさんの部屋を作ってる)
梓(テーブル、椅子、ベッド、カーテン…)
梓(ムギ先輩が砂を小指でなぞると、どんどん小物ができていく)
梓(まるで魔法でも使ってるみたいに…)
梓(あっ、やどかりさんを入れた……住み心地を確認してるのかなぁ)
梓(熱中してるムギ先輩はちょっとだけかっこいいかも…)
ポタ
梓(…ん?)
ポタ
ポタ
ポタポタポタ
梓(…雨?)
ポタポタポタ
ザーザーザー
紬「あ、梓ちゃん」
梓「車に戻りましょう」
紬「…で、でも釣竿は?」
梓「固定してあるから大丈夫です。こんな雨に濡れたら風邪をひいちゃいます」
紬「…そうね」
>車内
紬「…紅茶はどう?」
梓「ありがとうございます」
紬「…」
梓「…」
紬「もう少しで完成だったのに…」
梓「…でも、仕方ないです」
紬「ええ、雨が止んだら、作り直せるかしら」
梓「…どうでしょう」
梓(雨はさっきより強く降ってきました)
梓(波も高くなって、今外に出るのは危なそうです)
梓(ムギ先輩は…ちょっと浮かない顔をしています)
梓(……)
梓「ムギ先輩?」
紬「うん」
梓「あんまり落ち込まないでください」
紬「…ごめんね。そんな顔してた?」
梓「はい」
紬「お城が完成したら、梓ちゃんと記念撮影したいなって思ってたから」
梓「あっ…」
梓(それで、こんなに落ち込んでたんだ…)
紬「やどかりさん達、大丈夫かな」
梓「もともと海の生き物だから大丈夫だと思いますが…」
紬「お城はなくなっちゃうかもしれないね」
梓「はい…」
紬「…」
梓「…」
紬「…はぁ」
梓(ムギ先輩が落ち込んでる…)
梓(このままじゃいけない。どうにかして…)
梓「ムギ先輩、ちょっとお話しましょう」
紬「お話?」
梓「はい、お話です」
紬「それで、なんのお話?」
梓「…」
梓(…しまった、考えてなかった)
紬「梓ちゃん?」
梓「ごめんなさい、考えてませんでした」
紬「ふふふ、梓ちゃんったら」
梓(あっ、笑った)
紬「それならこれからのことでも話しましょうか」
梓「…いいですよ」
紬「いよいよ梓ちゃんも卒業ね」
梓「あと2ヶ月で私も大学生です」
紬「遠い遠いと思っていたけど、案外近かった気がするわ」
梓「そうですね…」
紬「ふふっ、なんだか夢を見ているみたい」
梓「夢…ですか?」
紬「ええ、幸せ過ぎて、夢みたい」
梓「夢じゃないです」ギュッ
紬「あっ…手…」
梓「ちょっと冷たくなってます」
紬「ずっと砂を触ってたから」
梓「私が温めてあげます」
紬「ありがと、梓ちゃん」
梓「大学に入ったら、私も運転免許を取りたいと思ってます」
紬「そうなんだ?」
梓「はい。そうすればデートの時私も運転できますし」
紬「…気にしなくていいのに」
梓「…正直に言えば、一度運転してみたいと思ってたんです」
紬「そうなの?」
梓「はい」
紬「じゃあ一緒に勉強しよっか」
梓「教えてくれるんですか?」
紬「教える…なんてたいそうなものじゃないけど。ちょっとしたコツもあるから」
梓「無事に免許を取れば、行きはムギ先輩、帰りは私が運転、なんてこともできるようになります」
紬「梓ちゃんは運転してみたい車とかあるの?」
梓「とりあえず今までムギ先輩が乗った車にはひと通り乗ってみたいですね」
紬「二人で選んだもんね」
梓「はい」
梓(デートで遠出するときはレンタカーを使っています)
梓(今日のプリウスももちろんレンタルです)
梓(ちょっとお金はかかりますが、折半でなんとかやっています)
梓(毎回デートの前はスカイプでどの車を借りるかお話するんです)
梓(…あの時間、楽しかったな)
紬「これからはスカイプじゃなくて直接お話して決められるね」
梓「こころを読んじゃ駄目です」
紬「ふふふ、梓ちゃんはわかりやすいから」
梓「もうっ…」
紬「でも、梓ちゃんとのスカイプ、楽しかったな」
梓「直接話せるようになったら、あんまり使わなくなるかもしれませんね」
紬「ちょっと寂しいかも…」
梓「…直接じゃ駄目ですか?」
紬「そういうわけじゃないけど、なんとなく」
梓「確かに、ちょっと寂しいかもしれません。でも…」
紬「…?」
梓「楽しいことのほうが多いです。例えば朝とか」
紬「あさ?」
梓「毎朝ムギ先輩を起こしにいきますから」
紬「そ、それは…」
梓「駄目ですか?」
紬「駄目じゃないけど、後輩に起こされるなんて恥ずかしい…」
梓「唯先輩たちも既に知ってるんですし、今更です」
紬「うぅ~」
梓「学食で一緒に御飯を食べたり」
梓「一緒に短期のバイトしたり」
梓「寮まで一緒に歩いて帰ったり」
梓「…やりたいことはいっぱいあります」
紬「そうね。私も梓ちゃんとやりたいこと、沢山あるわ」
梓「これから先、どんなことが待ってるんだろう」
梓「考えるだけで、胸のどきどきが止まらなくなるんです」
梓「こんな感じは、高校に入った時以来です」
紬「高校に入った時?」
梓「あの時もどきどきが止まらなかったんです」
梓「私、軽音部に憧れてましたから」
紬「…でもあの後失望したでしょ」
梓「最初はそうでした」
梓「お茶ばかり飲んで全然練習しない軽音部」
梓「律先輩はいい加減だし」
梓「唯先輩はところかまわず抱きついてくるし」
梓「澪先輩は最初からいい先輩でしたが…」
紬「ふふふ。何もかも懐かしいね」
梓「だけど、すぐに大好きになっていました」
梓「律先輩も唯先輩も澪先輩も…」
梓「そして…」
紬「知ってる」
梓「…最後まで言わせてください」
紬「……はい」
梓「ムギ先輩のこと、大好きになったんです」
紬「…ありがとう梓ちゃん」
梓「お礼を言うのは私の方です」
紬「ふふふ、それはどうかしら」
梓(ムギ先輩は意味深に笑いました)
梓(ふと空を見上げると)
梓(雨はすっかりあがって)
梓(空には虹がかかっていました)
紬「そろそろいいかしら」
梓「…竿を確認しないと」
紬「そっちの竿はどう?」
梓「こっちは……かかってないみたいです」
紬「こっちも駄目ね」
梓「これも駄目かな」
紬「うーん。こっちも」
梓「あっ!」
紬「何かかかってたの!!?」
梓「そうじゃないです。これ、見てください」
紬「あっ、やどかりさん達……」
梓(ムギ先輩が作ってあげたテーブルの上)
梓(その上で2匹のやどかりさんは身を寄せ合っていました)
梓(殻から顔をちょこんと出して、外を伺っているみたいです)
梓(そんなやどかりさんたちの真似をして私は――)
紬「あっ//」
おしまいっ!