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(前略)

AKB 48を辞め、母の横にいようと思った

大西はAKB48に入った年に、トラック運転手だった父を亡くしている。父はAKB48のオーディションに合格した際には祝福もなく「お前みたいなブスが受かってええんか」と、つれない反応だった。AKB48の活動が始まると東京と奈良を行き来する日々。父とは会話する時間はなかなか持てなくなっていた。

2014年9月。数日前から父は体調を崩し、家にいた。

学校から帰ると「その時は仲が悪かったので」リビングにいる父にただいまと挨拶をせず、直接自分の部屋に向かった。夕方、仕事から帰ってきた母が部屋に入るなり「パパ、冷たくなっている...」と言われた。突然の別れだった。

父はまだ44歳。ステージに立つ自分の姿を見ていない。もっと話せばよかった、もっと一緒に遊びへ行けばよかった。後悔ばかりが残った。

父の死後、母はショックから毎日泣いていた。一人にはできない。AKB 48を辞め、母の横にいようと思った。そんな時、母から父の形見の携帯電話を渡された。

中を見ると、2014年に父が友人に「速報 我が家に芸能人誕生」と送ったメールが見つかった。自分がテレビに出ている様子を見て「めっちゃ可愛いやん」と喜ぶ父の声が入った動画もあった。

父はずっと応援してくれていた。携帯を触りながら、涙が止まらなかった。

「その時、お給料も少なかったので、地元に戻ってバイトをすれば、毎日家に帰れるし、ママの傍にいられる。楽させてあげられる。絶対そっちがいいと考えたんですけど、『気にせんでええねんで』って。

母は、もう少しアイドルを頑張ってみたらと言ってくれた。

「ママは今まで私の言うことを何でも受け入れてくれたけど、その時だけは続けたらって。辞めてほしくなかったんだと思います」

母は職場や近所の人に、娘のAKB48での活動をいつも楽しそうに話していた。アイドルを続けることが親孝行になるかもしれないと思った。

葛藤はあったけれど、AKB48の活動は続けた。

2017年6月のAKB48の選抜総選挙前、大西は部屋からいつものようにSHOWROOMの配信を行っていた。すると母が部屋のドアを開け、黒いビニール袋を渡された。中には総選挙の投票券付きのCDが3枚入っていた。

「私の給料は少なくて、おうちに何も貢献できてなくて、ママもパートに出ていて。CDだって安いものじゃない。ママが働いた1日分の給料くらいやから。それをわざわざ買ってくれて…」

配信は続いていたが、涙が止まらなかった。

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